てぃーだブログ › マンモスの日々

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2012年05月02日

双極性Ⅱ型/ターニングポイント

会社を退職し長期に渡り療養してきました。
長い人生の中で、双極性Ⅱ型での退職は人生のターニングポイントの一つになりうるのかもしれません。


双極性Ⅱ型を患ってから今日までの中にも幾つもの転換期があります。一つには前にもお話ししたセカンドオピニオンにかかったことです。そのおかげでやっと双極性Ⅱ型の病名に辿り着き、適切な治療が始まりました。もう一つは、沖縄県立総合精神保健福祉センターのうつ病デイケア(集団認知行動療法)に、6ヶ月間通所したことです。そこから病状は著しく回復し、前向きになりました。


うつ病デイケアでは、とても良い経験、良き出会いを与えて頂きました。ここでうつ病デイケアについて少しお話しします。デイケアと言いますが、通所するのは一週間で火曜日だけです。少ないように思われますが、そこがポイントなのかもしれません。その代わりにうつ病デイケアでは1週間の宿題があります。


①その日の気分グラフ(今の自分がどの程度の気分なのか、点数を付ける) 毎日夕食後に今日一日を振り返り、その日の出来事とその気分を記入し、数値化します。鬱のもやっとした黒い霧に記憶がかき消されない内に、今日の確認と後に振り返る為に記録します。うつ病を患うとどうしても、一日一日の記憶が薄れ消えて行ってしまいます。


②思考チェック表 上記の気分グラフと趣旨は一緒です 【プラス思考】小さいことでもプラスに思えたことを見つけ出す。【マイナス思考とその修正】マイナス思考だったことを記入し、その思考をプラスにどう修正したかを記入します。とても難しい作業です。難しいですが無理やり続けることで、1つの思考だけじゃなく、いろんな思考ができるようになります。

例えば:私は必要とされていないのではないか、死んだほうが皆の為だ。という思考を、私の場合は思考の修正で→私を否定することは、うつ病を患っている全ての人を否定することになる。近い同じ病で苦しんでいる人に置き換えることで、偏った思考から脱することができます。


③1週間の楽しい活動予定 名前からすると幼稚的に聞こえますが、うつ病を患うと行動を起こすことが億劫で、どうしても引き篭りがちなります(楽しい事なんて無いという人が殆だと思います) そんな状態から、やりたいことを見つけ出すのは大変です。そこでは予定を立てることが大切です。本を読む、散歩する、近場をドライブする、美味しいものを食べる、友人とお酒を飲みに行く、できたことがゼロでもいいです。病気を患う前にに楽しめていた事を思い出す作業です。


④自己主張&長所リスト この説明は省きます


それらを毎日書くというのは、脳を働かす作業なので結構大変です。でも、ちゃんと書き続け、その内容をグループミーティングで発表し、その内容に対し他の参加者からいろいろ意見を言ってもらうことにより、別の考え方もあるんだ、こういう楽しみ方もあるんだ、こういう修正方法もあるんだ、次第に自分の陥りやすいマイナス思考が修正されて、楽しい行動で気分も少しづつ改善されていきます。


私はうつ病デイケア(集団認知行動療法)で、頭の凝りが取れたように思えます。五里霧中を漂っていた私に、一筋の光が見えたような気がしました。


丁度その頃、沖縄県立総合精神保健福祉センターのうつ病デイケア(集団認知行動療法)の取材に、NHKが密着していました。私は思い切って実名、顔出しで取材を受ける事にしました。家での様子、センター以外での様子、そしてデイケアでの様子や発言等、ありのままの私を取材して頂きました。微力でも私と同じように苦しんでいる人の為になりたくて。  

Posted by マンモス at 15:28Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/新都心公園

多分4年ぶり・・・


おもろまち駅を降りてすぐの新都心公園そこはうつ病末期だった私が、心が張り裂けそうな想いで空を見上げ、どうやって死のかと考えていた場所私にとって、もう二度と行くこともないと、そう思っていた場所。


その場所に友人と向かうことにしたいつかは乗り越えないといけない場所。あの日あの時を過ごした公園は、あの時のままただ4年分だけ木々が生長していて緑が眩しかった。そこに降り立った瞬間、私の足は震えていた。


木々が生長した4年間、私が成長した4年間。私はそこに立つことができた。とても大きなハードルを越えた瞬間だった。友人に感謝したい。何かのきっかけがない限り再びそこに立つことはなかっただろう。ある意味私を救った公園だ。


話は変わりますが、私には抱えている負の部分があります。それは無職、借金のことではなく、本当は一番大事な部分です。私はうつ病と4年付き合ってきましたそのことには向きあえています。


私の根底にあるのは、私の人間力の弱さなのか周囲の人が、私のこの4年間を受けいれてくれているのか。また、これから受け入れてくれるのかそんな単純なことが心にひっかかり、時折胸が苦しくなります。


結局のところ周囲の目を気にしているのです。再就職する際、仕事をしていない4年間を世間はどう受け入れてくれるか。ポテンシャルが低いと判断されるのではないのかそんな小さくて大きな壁が、私の前にあります。


そんな私が、うつ病のことについて語ってよいものかそんなジレンマがあります。  

Posted by マンモス at 13:57Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/負け惜しみではなく

共感できる内容だったので少し引用します。

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竹脇無我著『凄絶な生還』


僕が思うに、うつ病から抜け出すのになくてはならないものが4つある。一に休養、二に薬の助け、三に治したいという自分の気持ち、そしてもう一つは、周囲の人の支えだ。僕の場合も、本当にいろいろな人の世話になった。


病気のなかには、どんなにきちんと治療しても、発症前に比べると心身のパワーが低下するものが多い。でも、うつ病は違う。きちんと治療すれば、病気になる前より、もっと元気になる。僕はそう実感している。


その大きな理由は、さっきも言ったように、うつ病になることで、「違う世界が見られる」ところにある。・・そしてもう一つ。うつ病になってそこから抜け出したことで、僕は「等身大」で生きられるようになった。


最近、つくづく思う。時計の針は逆には回せないが、ムダに回っているわけでもないと。針が回るごとにつらい記憶は薄らぐし、何歳になっても人は変われる。うつ病から回復して、僕はいろいろな面で変わった。前よりも、いい生き方ができるようになったと思う。


だから、いまは負け惜しみでなく、「うつ病になってよかった」と思っている。

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私もそう実感しています。確かにお金がなく厳しい生活ですが、逆に得たものも多々あります。


逆に言うと、精神的に強し衝撃で意欲、気力が打ちひしがれ完全に戦意喪失していたあの頃。頭の中には、大きな鉛とブラックスワン(鬱病)が支配し考えることさえ、生きることさえ、何の感覚さえ無くなっていた。


その想いは鬱病を患ったものにしか説明のしようのない絶望と悲壮の日々の繰り返し。その時期に思っていたこと『私はこの先には破滅しかないのか』私のこの頭は、到底回復できるものではない私にはわかる。


そんな私に、主治医は私に言った
『ある時期に来ると、頭がフッと軽くなる時がくる。必ず来る』
私は信じなかった信じることができなかった


2年間待ったが頭がフッと軽くなる瞬間なんて来なかった。貯金と退職金も底をつき借金生活に突入した。私に残されたのは生命保険を家族に遺すことだけと本気で考えていた。遺書も書いた。どの時点が適時なのか日々考えていた。


死に対して恐怖はなかった逆に2年間付き添ってきた、この使い物にならない頭を早く切り離したかった終わりにしたかった。



それを経て、私はここにいる
それでもこう想う。いまは負け惜しみでなく、「うつ病になってよかった」と。  

Posted by マンモス at 13:57Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/逆境

逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。


それはそのときのその人に与えられた一つの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。素直さは人を強く正しくし聡明にする。逆境に素直に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、その道程は異なっても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ。

松下幸之助
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私もそう思います。逆境も、順境も、その人に必要で与えられた境涯です。それをどう受け止め、どう生きるかが大切でありその一つ一つを謙虚に素直に生きること、感謝の心を忘れず生きること、これこそが大切ではないでしょうか。


私も逆境を受け入れ「よし、これがさだめだ!」と素直に受け入れたときその先の道が開けるような気がします。ありのままの私を理解し、支えてくれる妻、両親、友人に感謝しています。


いつも目にする月は、地球からは表側しか見えません。表側だけ見えていても、月全体を知ったことにはなりません。月の裏側に行く機会が無い限り、裏側にどんな秘密があるのかは謎のままです。


逆境の状態に身を置くことによって初めて見えるものがあります。それは満ちて生きている時には気付かないことばかりです。少し前の私はジタバタするばかりで何もできませんでした。でも今の私は、ジタバタすることなく目を見開いて、しっかりと体感しています(体験中です)


感謝の念に限らず、思いやりの気持ちとか、慈しむ気持ち、哀れむ気持ち仏教でいう慈悲喜捨の気持ちというのは、拡がり続ける想いなんですね。「慈悲喜捨(じひきしゃ)」という言葉は、他の幸福を喜び(慈)不幸を憐れみ(悲)他の有徳を欣(よろこ)び(喜)不徳を捨てる(捨)その態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。そんな感じでしょうか。


もし、今が不幸かと問われでば私は「プチ幸せ」だと答えます。
感謝。感謝です。  

Posted by マンモス at 13:55Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/モス

改めて

私の病名は、鬱病ではなく双極性ニ型です。しかし双極性ニ型と診断されるまでに約2年かかりました。結論から言うと、双極性障害(躁うつ病)と、単極性うつ病では薬の処方が異なるということです。


なぜ双極性ニ型と診断されるまでに、こんなに時間がかかったのか?それは私自身が、軽躁状態を自覚できず、重いうつ状態の話だけをしてきたことにあります(双極性ニ型の軽躁状態は本人も、周囲も気付きにくいです)


その時の私の説明では、主治医も『うつ病』としか診断できませんでした。うつ病と診断され2年が経っても、全く改善されませんでした・・・。そこで主治医と相談した結果、セカンドオピニオンをつかうことにしました。そこでようやく双極性ニ型と診断されました。薬の処方を変えると、徐々に症状が改善されてきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

私がリハビリと称して始めたことは、一日一回ベランダにでることでした。陽の光を浴びることで何かが変わるような気がして、変えたくて必死の想いでベランダにでました。それと妻に美味しい珈琲を入れることでした。


一日一回のベランダに出るというリハビリから少しづつ範囲を広めて、四階から一階までおりてポストを確認すること、家の周囲を散歩すること、人混みが苦手なことを克服するために、国際通りを抜けパレットくもじの1階にあるモスバーガーへ行くことを次のリハビリに決めました。


パレットくもじまでは家から徒歩で15分程度だったので、往復30分。その時の私にとっては、未知数のリハビリでした。今の私なら迷わず珈琲を注文するはずなのになぜかその時はレモンティーでした。誰と会話する事なく1人でレモンティーを飲んで帰るだけその時の私にはそれが精一杯でした。


何度目の時か、いつものようにモスで注文をする際、『えーっと…』と私の小さな声に対し『レモンティーですよね』と笑顔で私に接してくれました。人との関わりを避けていた私に少しだけ勇気をもらえた、そんな瞬間でした。なぜかとても嬉しくて、その時の帰りは少しだけ視線が上向きになっていました。


私の最終的な目標として『元の自分には戻りたくない。戻らない』でした。そもそも元も私に戻ることが果たしてベストなのかそれが幸せに繋がるのか、もしかすると元の私とは、不完全でうつ病を再発する可能性のある心の習慣病持っていた私ではないのか、どうせならこのうつ病を肥やしに一回りも二回りも進化した人間になるべきではないのか、そういうふうに考えるようになりました。


もし私がうつ病を患わなければ(人生に「もし~」を使ったらダメですが)私の人生は、大きな波に流されて、私が作った人生だとは言えなかったと思います。それだけ不完全な自己主張のない人間でした。うつ病を患い強制的に足を止めることで、私にチャンスもしくは試練を与えられたのだと、そう思うようにしています。これから先は、破滅にせよ成功したにせよ自分の手で自分の人生を作っていくことを決意しました。




賢い人間は自分の思いをコントロールしているのに対して、愚かな人間はそれにコントロールされている、という点にあります。
ジェームズ・アレン(思想家)
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うつ病を患うと、どうしても鬱に脳が支配されてしまいます。支配された結果、自ら命を落とす人もいます。どんな状況でも、自分の思い次第で、考え方を変えていくことはできます。自らの思いをコントロールし、また実行することで道は開けるはずです。


リミッターを外すということ、それは「今までの自分を越えるために、自分の中の障害を乗り越える」ことだと思います。  

Posted by マンモス at 13:55Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/リハビリ

15年勤めた会社を退職しました。それは私だけの決意だけではなく、妻の同意も得たからです。『15年勤めたんだから、今度は15年かけて病気を治しましょう』その言葉によって私の心は救われました。逆の立場にっ立った場合、果たして同じ言葉を妻にいえるだろうか。


そんな妻は、私が会社を退職しすると直ぐに働きだしました。時給のいい仕事を探していて最初に始めた仕事は、代行の棚卸サービスのし仕事です。棚卸しなので、お店が開店中にはできません。店が閉店してからお店が開店するまでの間に、棚卸しするしかないので、出勤はいつも夜、帰宅は早朝の4時、5時でした。


ひたすら地味な作業で、多い商品だと千個の個数を数えることもあり、当然ミスは赦されない地味+神経が磨り減る仕事です。それでも愚痴も言わず明るく仕事に取り組む妻の姿に、私は感謝の気持ちと、申し訳ない気持ちで心が張り裂けそうになりました。


妻と息子が仕事、学校へ行っている間私はベッドの上で宙を見つめながら私だけの時間系列の中で葛藤がはじまりました。『このままじゃ駄目だ 何とかしなきゃ』と。そこから本気でリハビリを始めることを決意しました。今の私にできることは何なのか真剣に考えました。ようやく主治医の話にも耳を傾けるようになりました。


その頃の私は外に出ることも、人と会うことも全く出来ないでいました。特に人混みがダメで他人が楽しそうに話している声や笑い声を聞くのが苦痛で頭がどうにかなりそうでした。そこで私が最初に始めたこと、それは一日一回はベランダに出て、陽の光を浴びることでした。


そして妻のた為に私ができること、それは美味しい珈琲をいれることです。インスタントですが。
それが私のリハビリのスタートでした。



壁を乗り越えることが出来ず、遠回りをしたとしても、もし壁の向こうに辿り着く事が出来たとすれば、それは壁から逃げてしまったと非難されるだろうか。人は時々歩みを止めてしまう事がある、今の私はうつ病を患い強制的に歩みを止めている。しかし完全に止めているわけではない。


それはそこに 新しい目標を見つける大切な時間を育てている。遠回りをしたわけでもない、ましてや無駄な時間を過ごしていたわけでもない。何かをつかみ成長し次につなげる大事なものを探しているんだそう思いたい。


BEFORE と AFTERの間で、立ち止まってみるマイウェイ。人それぞれのマイウェイ。  

Posted by マンモス at 13:54Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/退職

以前の私、それは生き急ぐがままに、また小さな私を隠す為に、身幅が合わない少し大きくて、見栄を張った…年を重ねても、それを修正することもなく、更に大きく、そして華やかに…体に合わない鎧は、重くそして動きにくく、息苦しく、息切れし意識は遠のきいつの間にか私の思い通りに、指示通りに動かなくなっていきました。


うつ病を患い、それでもなお鎧を脱ごうとはしなかったのは、それが私と認めたくなかったからです。鎧の中身は、膿みにまみれ原形をとどめることのない無惨な私でした。ドロドロの私は、お風呂に入る意味も忘れ、服を着替える意味も忘れその一日一日を、視点の定まらない宙を見つめ、それはもはや、人ではなく物になりました。


私はいったい何がしたかったのか。うつ病をから目を逸らし、ブレーキの壊れた車のように暴走してしまいました。会社の為にもならず、ましてや家族を混迷させる行為をとっていたのです。全てはうつ病を軽視したことにあります。その後、私がうつ病(双極性Ⅱ型)と本気で向き合ったのは、会社を退職してからです。


既に私の脳は完全に機能停止しました。降雨のあとの無用の産物が川に置き去りされたゴミのように・・・。辞表は会社のポストへ投函しました。誰にも挨拶もせず誰にも何も引き継ぎもせず。それが私にできる精一杯ことでした。その後の会社の手続き等は、私の代わりに妻が会社に出向き代行してくれました。


『15年間お疲れさまでした』

妻の言葉が深く身に沁みました。  

Posted by マンモス at 13:53Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/通学、通勤、早退

コモス(息子)が小学5年生時、私とコモスが唯一共有できる時間は、休日と朝の通学でした。コモス(息子)は広汎性発達障害で通学には送り迎えが必要でした。朝の送りは私の担当で、毎朝私とコモスは住宅街抜け、本当はダメなんですが県庁敷地内を横切って小学校へ徒歩で通学していました。


そしていつもの様にコモス(息子)を見届けて、私は最寄りの県庁前駅へと向かいます。二回目の休職明けの私はもう常に鬱状態のままで、結論から言うと今回の復職期間はたったの三ヶ月間で、再び休職に入ることになります。


私は息子を小学校へ送ると、急に私の足は鉛のように重くなり、まるで足枷がついているかのように小さな歩幅で、足を引きずるかのように駅へ向かいました。そして廃人のようにモノレールに乗車します。片手には妻の作った温かい弁当を持ってです。


車中で私は必ず思うことがあります。それはこのまま、おもろまち駅で下車せず、消えてしまおう・・・何度も何度もそう思いました。しかしバカ真面目な私はいつも同じ時間、同じおもろまち駅で下車し会社へと向かいました。既に私の心はもうどこにも逃げ場がありませんでした。


『すまない・・・早退する・・・。』


無念な感情を押し殺し、何度部下に言っただろうか。冷や汗、手の震え、情けなくてこみ上げてくる涙。それでも誰にも悟られないように必死に平然を装っていました。一日何もできない日も増えてきました。会社のベランダで缶コーヒーを飲んでいる時間が増え、また近くの新都心公園で、無意味な何の生産も産まない時を過ごしていました。これでは私が会社に居る意味が分からなくなります。


私は必要な人間なのか・・・


後半はもう午後を闘える体力、気力もなくなり、悔しさと虚しさを抱え会社を早退することが増えていました。午前中はほぼ席に着いているだけ、身体も頭もフリーズしそんな私自身のことが赦せなくなり、早くこの世から消えたいという希死念慮に襲われました。  

Posted by マンモス at 13:53Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/広汎性発達障害

ここで少しコモス(息子)の事に触れたいと思います


コモス(息子)は広汎性発達障害です。広汎性発達障害は生まれつきの脳の障害です。脳の器質的な異常によるもので、育て方の問題ではありません。育て方の問題とだ思われて変な目で見られることも多々ありました。


主な特徴として、自分の気持ちを上手く表現できなかったり、相手の言ったことから気持ちを推し量ったりするのが苦手です。コミュニケーションは言葉だけで通じるものではなく、相手の表情を読み取ったり、表情で表現したりする部分も多いのですが、これらの表現や読み取りも苦手です。例えば、場の空気が読めません。笑うべきでない状況で笑ってしまったりなど状況音痴なことがあります。


葬式で笑ったり、寝転ろび奇声を上げることもありました。暗黙の了解や社会的な常識を自然に身につけることが難しいです。校長先生が喋っている一番目の前で大きくあくびをするとか、本人は全然悪いとは思っていません。一見すると、わがまま、ふざけている、自己中に見られます。一緒に外出するのも一苦労でした。いつ何が原因でパニックに陥るかわかりません。




『写真は嫌だよね。わかるよ嫌だよね。いいんだよやらなくても。ね。』


小学校の入学式の話です。小学校の入学式後、各クラス毎に集合写真の撮影がありました。コモス(息子)は写真が苦手で写真撮影があると聴くと、コモス(息子)はパニックになりました。泣き喚き激高し、地面に寝転がり、手の付けようのない状態になりました。集合写真の撮影はコモス(息子)待ちになりました。


私は無理矢理コモスを起こそうと何度も手を差し伸べてもどんなに説得しても、どんなになだめてもパニックはつづきました、ここにいた父兄、生徒が注目しています。その時です。『写真は嫌だよね。わかるよ嫌だよね。いいんだよやらなくても。ね』と、一人の女性がコモスを抱きしめてコモスと一緒に泣きました。


彼女は、この小学校の特別支援学級の先生でした。先生の指示で集合写真は、コモス抜きで撮影を再開しました。先生のおかげでコモスのパニックは治まりました。小学校初日の一コマです。パニックは日常よく起こりました。


私は仕事が忙しく、そんなコモスを妻に任せっきりでした。  

Posted by マンモス at 13:52Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/復職

2度目の休職(3ヶ月間)が終了し、復職することに


ここでもまだ医師との連携を取らず、焦慮が強い中で全て自己判断で復帰しました。症状はあまり回復しておらず、苛立ちの中での再出発でした


この頃会社も事業拡張の為に、松尾より新都心へ移転し規模を拡大しました。本来私はその中心にいなければいけない時に、使い物にならない頭で、それでも必死に働きました。出向、出張もこなしていきましたが、当然のことながら私の思い描くような活躍はできないでいました。


『ちくしょう』


いつの日かその言葉が私の口癖になっていたました『何なんだこの私は!何なんだこの有様は』思わぬ失速から私は私自身に幻滅していました。今まで当たり前にできていたことができない。人の言葉が頭をすり抜けていく、言っている言葉が理解出来ない・・・


その時から私の中にはもう一人の私が話しかけるようになってきました。『お前は用済みだ!こんな低いハードルも越えきれないお前は用済みだ!』焦る心とは裏腹に身体は硬直し、視野狭窄に陥り、私は私自身をコントロールすることもままならなくなっていました


文字を目で追えない・・・


状況判断の欠如


冷や汗と手の震えこみ上げてくる涙


『ちきしょう』と思う私に、もう一人の私が囁きます


『お前は用済みだ!』  

Posted by マンモス at 13:51Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/2度目の休職

再び休職となりました


それは最初の休職とは明らかに異なるものでした


私の場合、特に焦慮が強く、いたたまれない気分に支配され、落ち着かなかったり、苛々したり、横になることも出来なくなりました。部屋中をうろうろ歩き回ったり、髪の毛をかきむしったりしてしていました。


その時期が過ぎると次にきたのが、過眠、過食、耳鳴り、声のかすれ、のどの痛み、息苦しさ、便秘、微熱などなどが出てきました。精神機能の抑制では、忘れっぽく、とにかく覚えることが苦手となり、頭が回転しない、私自身では決定できない、集中力ないといった軽い認知症に似た症状もでてきました。とにかく全てにおいて制御不能になりました。


いったい私自身に何が起こっているのか!?
ただただ悲しくて苦しくていつの日にか希死念慮に襲われました


後半はほぼ寝たきりで、常に朦朧とした中でどう消えるべきなのかそれし考えない日々が続きました


二回目の休職三ヶ月間が過ぎ
復職の日が来ました  

Posted by マンモス at 13:51Comments(0)障害:うつ病

2012年04月29日

双極性Ⅱ型/再発

一ヶ月、会社を休職することになりました。


私は休んでもなお家では自己啓発の本を読みあさり、常に復職するための自主トレしていました。当然のことながらそれは逆効果です。それにまともに文字と内容は頭に入って来ません。それでも復職するために家でできることを精一杯頑張ったつもりです


一ヶ月の休職を終えて会社に復職


私は、必死に仕事に取り組みました。一ヶ月間の遅れを取り戻すためにぎこちないながらも仕事に取り組みました。処方された薬を服薬すると怠さがあり、服薬しないほうが調子がいいや!ということで、勝手に薬の服薬を止めました。クリニックには通院していましたが、私にとってクリニックは目障りな存在でした。


『今はゆっくり服薬しながら休養して下さい。仕事のことは忘れて心と頭をクールダウンさせてくださいね』


と呑気なことを言い出します。この鉛のように使い物にならない脳をどうにかして欲しいのに、出された薬を服薬しても頭がぼーっとして仕事になりません。私は主治医も信用していませんでした。クリニックは妻や両親の為に通院しているようなものでした。


しかし復職して三ヶ月後、それは突然やって来ました


何ともいえない底なしの脱力感が私を襲ってきました。怒りよりも悔しさよりも違う無感情のような涙。視点も定まらず脳の働きが全て止まったかのように、考えることも喋ることも動くことさえできず、なんとも言い表し難い今まで味わったことのない感覚に陥りました。でもこの場から消えたいという感情だけはハッキリ覚えています。そこからどう家に帰ったのかは覚えていません。


再発です。
今までのうつ状態は序章の始まりでしかなかったのです  

Posted by マンモス at 13:50Comments(0)障害:うつ病

2012年03月26日

金星、月、木星が一直線に並ぶ



金星、月、木星が一直線に並ぶ  
タグ :金星木星


Posted by マンモス at 21:57Comments(0)生活

2012年03月24日

離任式 2

昨日の離任式では、とても有難い言葉を頂きました。
不覚にも泣いてしまいました…


離任式では、特別支援学級の、ある1年生の母親が私の席の隣にいました。私は、その母親から話しかけられるまで、気づきませんでした。


特別支援学級からは3人の先生が離任となりました。昨日の離任式での先生方の挨拶には、いろんな想いがこもっていて、私は凄く感動してました。特に校長先生のスピーチは言霊のように私の心に響きました。


離任式の終わり際に、隣のお母さんが私に話し掛けてきました。


『いつも息子がお世話になりました。息子は家でもコモス(息子)さんの話しをしますよ。いつも気にかけてくれて本当にありがとうございます。』


障害を抱えている親には分かると思いますが、特に人付き合いが難しいし障害を抱えると、学校で一人ぼっちじゃないのか、お友達はいるのかと心配になります。


コモスは、その1年生の子の事をとても気遣っているそうです。
そしてその子と約束した事があるそうです。それは・・・

1、小さくても声を出すこと。
2、授業中のトイレは1回にすること。

その2つです。

その子は、コモスより障害が重いです。その子に合った約束です。
母親もその約束がとても嬉しかったらしく、私に熱く話してくれました。


私は、コモスが人の為に役に立っていることが逆にとてもうれしくて、思わずその子のお母さんと一緒に泣いてしまいました。


良い先生方と、良いお友達を持てたことに感謝です。


広汎性発達障害のコモスも頑張っています
双極性Ⅱ型の私も、人の為になれるように頑張ろうと思うそんな離任式でした。


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タグ :離任式


Posted by マンモス at 13:07Comments(0)障害:発達障害

2012年03月23日

離任式



今日は息子の通っていた中学校の離任式に行って来ました。
息子がお世話になった特別支援学級の3名の先生が離任となりました。


先生方、本当に本当にお世話になりました。
そしてありがとうございました。

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タグ :離任式


Posted by マンモス at 15:14Comments(0)障害:発達障害

2012年03月18日

双極性Ⅱ型/双極性Ⅱ型

私の障害は双極性Ⅱ型です


皆さんは、双極性Ⅱ型という名称は聞いたことはありますか?


実はうつ病と、双極性障害は違います


代表的な気分障害(感情障害)、憂鬱感や気分の落ち込み、興味・喜びの喪失、意欲・気力の減退、希死念慮などのうつ状態だけが見られる『うつ病(単極性障害)』です


双極性障害の“双極”というのは、“2つの極端な状態にぶれる”という意味で用いられており、気分爽快で元気がありあまる状態である“躁状態”と、憂うつで意欲がなく、おっくうな状態である“うつ状態”を繰り返す、脳の病です。


●双極性Ⅰ型
従来いわれてきた、いわゆる「躁うつ病」がこれにあてはまります。Ⅰ型では、躁状態がはっきりしていて重いのが特徴といえるでしょう。Ⅰ型では、躁状態のときの影響がより大きくなります。他人への攻撃性が増し、そのためのトラブルで職を失ったり、家庭生活が破たんしてしまったり、深刻な損失を被るケースがあります。


●双極性Ⅱ型
うつ状態の部分はⅠ型とかわりませんが、躁状態が軽いのが双極Ⅱ型です。双極Ⅱ型障害は、本人も、そして周りも軽躁状態を病気として見逃しがちです。そのため、本人はうつ状態を実際よりも深刻に受け止めすぎたり、うつ病と間違われて治療が行われたり、と軽視できない病気です。


躁状態を病的な状態と認識することは難しく、大抵の場合、うつ状態となったときに受診を開始します。そして、本人の口からはうつ状態のエピソードのみが語られることがほとんどで、こうしたことから、双極性障害の場合、最初にうつ病と診断され、うつ病としての治療を開始されることがあります。


双極性障害の治療の困難性は、こうした診断のつきづらさと、薬物療法を開始しても、躁状態になると服薬の継続が難しくなり、治療が中断し再発のリスクが高まります。よって単極性のうつ病(いわゆる「うつ病」)よりも治療が難しく、長期化する傾向があります。


長くなりましたが、私の場合も双極性Ⅱ型と診断されるまでに約3年かかりました


そのこともあり、再発も3度繰り返しました


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Posted by マンモス at 21:09Comments(0)障害:うつ病

2012年03月17日

『本を書きたいな・・・』なんてね



『本を書いてみたいな・・・』


そう思うことがある
文才もないしそう簡単にはいかないことは重々承知


でも今までの思い、経験をまとめてみたい


うつ病発病から就職するまでの苦難、苦心の時間
それは息子が小学校6年生から高校入学までと重なる


息子と私がリンクしているような心の成長
42年間で一番苦しかったこの時期


しかし一番大事な時間を息子と過ごせた


そんなシンクロした時間的の共有をまとめてみたい

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Posted by マンモス at 09:35Comments(0)障害:うつ病

2012年03月14日

新芽



ベランダで育てているクイーンネックレス
冬の寒さで枯れかかっていました


今日水やりをしていて、ふと見上げると新芽がキラキラ 


元気をもらいました!
さて、家事と就活、そして高校入学の諸費用の為に動こう!頑張ろう!

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Posted by マンモス at 13:59Comments(0)障害:うつ病

2012年03月13日

オリエンテーション

今日は、母体高である沖縄高等特別支援学校にて
入学手続き、オリエンテーションがありました。


事前に用意した書類を提出し、入学手続きが終わりました(ふー)
その後は各分教室に分かれてのオリエンテーションでした


オリエンテーションでは殆どが諸費用の説明で
当初は約10万と聞いていましたが、今日の話では約12万とのこと・・・。


もう既にいろんな人、所へ迷惑をかけています
さてどう乗り切りましょう


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Posted by マンモス at 20:37Comments(0)障害:発達障害

2012年03月12日

ガーくん





家族の一員です。もう10年以上生きています(古代魚です)
とても人なつっこく愛嬌があります。

長生きしてね!

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Posted by マンモス at 21:19Comments(0)生活